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広島カープの新井貴浩(たかひろ)が達成した努力の2000本安打 [スポーツ]


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新井選手が史上47人目の2000本安打を達成

プロ野球の広島カープの新井貴浩内野手(39)が4/26のヤクルト戦で3回に適時二塁打を放ち、史上47人目の通算2000安打を達成して、名球会入りを果たしました!生き残りの厳しい世界で、長年の積み重ねで達成度した偉業ですね。

新井選手と言えば2008年にフリーエージェント(FA)権で阪神へ移籍し、15年に広島に復帰。FAで離れた古巣に戻っての2000安打達成は新井選手が初めてです。2112試合目での到達は大学、社会人出身者では最も遅く、出会った人に愛され、努力する才能に恵まれた新井選手の金字塔を、神宮に詰めかけたファンが祝っていました!

神宮球場はレフトスタンドから赤く埋まり、数え切れないほどの背番号「25」のレプリカユニホームを身にまとったファンが陣取っていました。これまで「プレッシャーはない。普段通り」と言い続けたきた新井選手も、ネクストバッターズサークルから打席に向かう途中で「すごい声援に緊張した」という状況でした。新井選手は、ヤクルトの先発、成瀬善久(30)選手のインローのスライダーをレフト線に引っ張り、ライナー性の打球がワンバウンド、ツーバウンドでフェンスにぶつかるタイムリー二塁打で達成!

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「チームのみんながチャンスを作ってくれた。感謝したい」と語り、二塁ベース上で花束と2000本安打のボードを受け取りました。またスタンドには、「努力の2000本」という垂れ幕が掲げられていた。このキャッチコピーは新井選手が歩んできたプロ野球人生を物語っています。
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新井選手のこれまでの歩み

新井選手は1998年のドラフト6位入団。6位以降の選手の名球界入りは、7位の福本豊氏以来、2人目で希少な存在です。学生の時の駒大時代に、日米野球で活躍、東都で打点王、ベストナインを獲得したが、どの球団の獲得リストにも新井の名前はなく、それでもプロを夢見る新井選手の思いを知る知人が広島カープの松田オーナーに直談判し、新井自身も、駒大の先輩である野村謙二郎氏の自宅を訪れ、バットスイングを見てもらい“推薦”を願ったと言う逸話があります。

その当時のチームにはヘッドコーチとして、もう一人の駒大の大物先輩である大下剛氏がいたたため、大下氏にもすがり、あらゆる方面から最終決定権を持つ松田オーナーへの推挙を受けたが、オーナーが現場のスカウトの意見を聞いたところ、「身体強く、バッティングは当たれば面白いが、肩がまるっきり弱くてプロでは守るところがありません」という評価だったそうだ。ただ松田オーナーは地元広島出身で選手でもあり、大下氏、野村氏の意見と「当たれば面白い」の長所だけを信じて駄目元で新井選手獲得の号令を出したと言う経緯があるそうです!


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その後、入団したキャンプでは大卒で即戦力のはずが、まるっきりバットにボールが当たらない状況で、プロの厳しさを痛感したそうです。さらに当時の監督だった達川光男氏は「5年でいなくなるだろう」という印象を持っていたそうです。しかし不器用ですが、新井選手のひたむきな努力がココから始まるのです。キャンプでもっともユニホームが泥だらけになり、手の豆を潰して誰よりもバットを振った。逆に達川氏は、「こんなに練習するやつがいるのか」と驚いたというそうです。

さらには目の前に最高の教科書があったたのも良かったと語っています。それは現阪神監督のアニキこと金本知憲氏の存在です。新井選手は「いろんな人に支えられ助けられここまでこれた。おかげさまなんです。選手としてプロの姿を間近に見て、大きな影響を受け、世話になったのが金本さんと黒田さんです。金本さんには叱咤激励されながら、恐れないことを学びました。黒田さんには、チームのためにひたむきに生きる、本当のプロの姿を教えていただきました」と二人に多大な影響を受けたと語っています。

その後、公私にわたって世話になった金本氏には、その背中で休まず試合に出続けることの大切さを教えられ、広島のジム「アスリート」でのトレーニングに誘われ、技術以上に重要な基礎体力、パワーを培っていきました。

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侍ジャパンの4番として出場した2008年の北京五輪では、新井選手は腰を骨折していたが、そのことを誰にも言わずにプレーを続けていた逸話があります。チームのスコアラーだった三宅氏は、大会が終わりに近づいた頃、チームのドクターに「MRIを見ると骨に異常が出ています」と告げられ、初めて重症だったことを知ります。

また新井選手は他人から人柄を悪く言う人は聞いたことがなく、愛されキャラです。例えば「まさか、あの新井さんが。。。。」そう書かれたTシャツを試合前に全員が着ていたと言う話もあります。

さらに「菊(菊池)なんか去年から、あと“32本ですね”とか言う。今年に入っても、毎試合、“あと何本ですね”って。普通、そういうこと言うかなあ」と新井選手は、和やかにそう言って笑った。

その後、阪神を退団して広島から再度声がかかり、悩める新井選手の背中を押してくれたのは黒田博樹選手だったと本人は語っています。黒田選手も新井選手がFAで阪神に移籍した2007年のオフにメジャーへ移籍していた。運命の悪戯か、2人はまた赤いユニホームを着て8年ぶりに再会することになり「野球人生の最終章は黒田さんと一緒に」と心に誓っているそうです。

努力の男である新井選手は、17年の歳月を積み上げて2000本の金字塔を残してきました。神宮球場の駐車場で全選手と共に乾杯した男は、上気した顔でこう言ってます。「広島に帰ってきてなければ、なかったでしょう。でも、客観的に(2000本を)見ることはできない。明日も試合がある。大きな目標がある。正直、今は振り返ることはできない。戦いは続くんです」とあくまでも個人の記録よりもチームの優勝に向けて邁進する姿勢こそ新井選手の凄みなのかもしれません。


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新井貴浩選手の2000本安打達成の動画はコチラ!


引用元:http://youtu.be/oi8_YGcgw3U

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